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川上麻衣子(女優)でべそ出演!うれしの現場でスタイル抜群!?志村けんに愛された「結婚観」
稀代のコメディアンが亡くなってから、はや1年。
仲間と酒を酌み交わし、時に「芸」について熱く語った志村けんは、
共演者たちからも愛された。
生涯独身を貫いたが、浮名を流したタレント、女優も少なくない。
プライベートでも親しかった3人の女性が明かす、
ストイックでシャイなその横顔。
97年に自殺した可愛かずみの紹介だった。
志村と出会う
「私、かずみちゃんとはマンションの隣の部屋に住むくらい仲が良くて……」
と川上が回想する。
「志村さんも私もかずみちゃんも犬が大好きだったんです。
志村さんがゴールデンレトリバーの子犬を飼い始めたタイミングで、
かずみちゃんに紹介されて志村さんと会ったのがきっかけでした。
それから毎日のように飲むようになったんです」
「私は独身で学芸大学のあたりに住んでいたんですけど、
飲んだ後、志村さんのお付きの方が運転する車で送ってもらったことがありました。
志村さんは三鷹に住んでいて、
私はお台場のマンションに引っ越す直前だったんです。
それで志村さんを“私が今度住むマンション見にドライブに行かない?”って誘って、
レインボーブリッジへ。
そうしたら、マンションを見た志村さんが気に入ってしまって。
私が22階に引っ越す予定で、
その4階下を志村さんが借りることになりました。
ただ、志村さんの部屋の家賃が私よりも安かったから、
お願いして部屋をチェンジしてもらったんです」
「結婚したいと言いながら、矛盾することを口にしていました。
曰く、一人でいる時間を大事にしたいから、ずっと一緒にはいたくない、と。
よく話していたのは“玄関に信号機をつける”という話でした。
今日は一緒にいてもいい日、ダメな日をお互いに信号で出しあって、
青なら会う、赤なら会わない。
“そういうのが理想だ”って。
そんなことをOKしてくれる人はなかなかいませんよね。
それなのに、子どもは欲しくて、
男の子だったらバカ殿の格好をさせたいと言っていました」
川上麻衣子(女優)のプロフィールについて
名前 川上麻衣子
生年月日 1966年2月5日(55歳)
出身地 スウェーデン ストックホルム
身長 162cm
血液型 B型
事務所 ステージUPスタジオ
実家の家族構成は、両親に川上麻衣子さんの
3人家族・ひとりっ子です。
川上さんの父親は建築デザイナー、
母親は、テキスタイルデザイナーでした。
両親がスウェーデンに留学中に川上さんが生まれます。
1歳の時に帰国し、東京に住みます。
子供の頃の川上麻衣子さんは、大のお父さんっ子。
何かにつけて、8ミリのビデオカメラで映像を撮ってくれていたそうです。
両親にとっても、川上麻衣子さんは一人娘。
玉川学園は、私立の名門校として人気があり、
小学校受験でも大変人気があります。
人気校に入学した川上さんは、9歳まで日本にいますが、
その後1年間は父親の仕事の関係で、1年間スウェーデンで過ごします。
現在はほとんど忘れてしまったそうですが、
スウェーデン語も話せたとはすごいですね!
現地の地元の小学校に入り、スウェーデン語で話していたという
川上麻衣子さん。
10歳の頃に再び日本に帰国し、玉川学園小学部に復帰します。
中学校時代は、バレーボール部に所属をしてました。
中学校2年生の時には、児童劇団「ピノキオ」にも所属した川上麻衣子さん。
劇団のレッスンを、週に1回受けていたそうです。
翌年には、女優デビューも果たし、「3年B組金八先生」にも出演。
金八先生への出演をキッカケに、知名度は一気に上がり、話題となります。
16歳の時には、アイドル歌手としてもデビューし、
大ブレイクを果たした川上麻衣子さん。
一躍、トップアイドルとして大人気となります。
芸能活動が忙しくなってしまった川上さんは、高校を中退しています。
後に通信制の高校でありNHK学園に編入をし、卒業をしています。
様々なドラマや映画に主演級で出演し、人気を博した川上麻衣子さん。
バラエティ番組にも出演し、お茶の間を賑わせます。
高校卒業後は、一般の大学には進学していませんが、放送大学に進学。
放送大学は、テレビやラジオを通じて行われる講義がユニークで、
卒業をすれば一般の大学と同等の大卒資格が得られます。
同大学には、無試験で入学できるため、偏差値はありません。
バラエティ番組で共演していた志村けんさんが放送大学を卒業しています。
川上麻衣子(女優)でべそ出演!
更衣室劇場主の矢野浩祐による自伝『俺の「道頓堀劇場」物語
渋谷道玄坂百軒店より愛をこめて』をもとに、
佐伯俊道が脚色し望月六郎が監督。
更衣室の小屋の座長になった男と踊り子たちの姿を描く。
撮影は「汚い奴」の石井浩一。
鉄砲玉の矢部浩太は月原組の親分暗殺に失敗し服役、二年の刑期を終えた。
兄貴分のおかげでの水着元締めとして九州座の太夫元となった。
水着姿のマヤと結ばれ、座員同士の結婚を認めた浩太は、
一座の信頼を獲得していく。
それに反して太夫元としての力不足を痛感する浩太は一座の解散を提案するが、
一座の面々は浩太と運命を共にすると宣言、
九州座を離脱して“硬太座”を旗上げるするのだが…。
女優としてなかなかの見せ場をみせてくれます。
1996年に『でべそ』での演技で、川上麻衣子は、
日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞受賞の
快挙を成し遂げています。その後も、
コミカルな芝居に挑戦したり、バラエティ番組へ出演したり、
川上麻衣子の活躍の場は広がっています。
その一方、ガラス工芸作家としての顔も持ち、
個展まで開催している川上麻衣子。その人生は波瀾万丈といえるでしょう。
川上麻衣子(女優)うれしの現場でスタイル抜群!?
映画『うれしはずかし物語』(1988年、にっかつ)に主演!
22歳の頃の作品。
こちらの映画でも見事なスタイルを披露しております!
作品の内容が良いのはもちろんなのですが、
こちらの作品かなりの高値で現在取引されているようです!
1983年には、篠山紀信写真集『暑い国 夢の国 生まれた国』で、
17歳にして初スタイルを披露。
5年後の1988年の映画『うれしはずかし物語』では、
濃厚なラブシーンも話題に。
最後に
1996年、中学時代の同級生だったという清彰久(鞄デザイナー)と
結婚した川上麻衣子でしたが、2000年に離婚。
わずか4年の結婚生活で、それ以降ずっと独身を貫いています。
2人の間には、子供はいないようです。
川上麻衣子は子供が欲しかったといいますから、妻と夫、
双方の思いがすれ違った結果が、離婚だったのかもしれません。
川上麻衣子の波瀾万丈な人生において、
可愛かずみとの交友を欠かすことはできません。
女優、歌手、グラビアアイドルとして活躍していた可愛かずみですが、
1997年5月9日に自ら命を絶ちました。享年32歳。
のちに7月7日の”七夕婚”を控えていたことが明らかになり、
いろいろな噂や憶測が飛び交いました。
ドラマで共演して以来、可愛かずみとは親友関係にあったのが川上麻衣子。
マンションの隣人同士として、
精神を病み始めた可愛かずみを支えていたのも川上麻衣子だったそうです。
悪化の一途をたどる可愛かずみを支えきれなくなり、
川上麻衣子はマンションを出て行きます。
それから1年、可愛かずみの悲報をニュースで知った川上麻衣子は、
愕然となりました。実はその前日、
可愛かずみからの電話が留守電に入っていたのです。
しかし、舞台稽古で帰宅が遅かった川上麻衣子は疲労困憊しており、
返事を後回しに。
電話の翌日に可愛かずみの悲報が飛び込んできたのでした
可愛かずみの葬儀の際、インタビューを受けながら泣き崩れる川上麻衣子。
可愛かずみを救えなかったと、
想像を絶する苦悩と後悔にさいなまれてきたのです。
表向きには遺書はないと発表されていますが、
実は可愛かずみの父親によると、メモ書きが残されていたとのこと。
その中には「麻衣ちゃんがいてくれたお陰で楽しかった」、
「麻衣ちゃんと話しているだけで、元気になるの」、
「パパ、麻衣ちゃんをよろしくね」と
川上麻衣子への感謝の言葉が連ねられていたそうです。
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