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徹子の部屋に出演します!
園まりさんが、どういう方なのか気になり、
プライベートを調べました!
園まり(歌手)のプロフィールについて
名前 園まり 本名 薗部毬子〔そのべ まりこ〕
生年月日 1944年4月12日(77歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 159cm
血液型 A型
事務所 キタガワサウンズ
若い頃は渡辺プロダクションに所属しており
アイドルとして売り出され世間から
見れば清純派だったようです。
若い頃の熱愛については作曲家平尾昌晃さんと
恋仲にあったということを園まりさんが
時効という事を勝手に言い出して告白しました。
当時は中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの
三人組『スパーク3人娘』を結成しており、
渡辺プロダクションが社運を懸けて売り出してくれました。
何故ならザ・ピーナッツのブームが去って
後を引き継ぐ形でデビューしました。
これは元来のアイドルグループとは違い
3人娘と言いながらもそれぞれがソロで活動する
タイプの売り方をしていました。
しかし、70年代に入るとそれぞれが新たな芸能活動の道を見つけて
歩んでいきました。
中尾ミエは女優業やバラエティーに進み、
伊東ゆかりは大人の歌手への転身を図っていきました。
その中で園まりは、徐々に売れなくなり
芸能界から忘れ去られる存在になっていったそうです。
プロマイドの売上げも一位を取ったことも
ある程の人気を誇っていました。
昔の芸能界ですから、意外な人同士が付き合っているなんて
言うのが沢山あって、週刊誌などが無かったので
ある程度好き放題にやっていたようですね。
園まり(歌手)若い頃病気で
2004年に「スパーク3人娘」が再結成され、
園まりも芸能活動を再開していましたが、
2007年11月に、乳がんの告知を受けます。
3人でのコンサートを控えていた彼女は、
中尾ミエと伊東ゆかりに相談。
すると、中尾ミエは、「切って取れば終わり」と
明るく励ましたそうです。
そして2人とも、園まりを病人扱いしないまま、
2日間のショーを無事に終えることができました。
その後、園まりは入院して治療を開始しますが、
幸い早期だったため、
乳房温存手術を行うことができたそうです。
園まり(歌手)結婚は?
1970年代に入り歌謡曲が全盛を迎えるのと反比例して、
園まりは過去の歌手として、
芸能界の中で埋没していきます。
その間、園まりが芸能活動を控え、
結婚もしていないのは、
高齢の母親の介護のためだったとも言われています。
2020年に入ってからも園まりは公式ブログ内で
「母の形見のバッグを身に付けて」というメッセージと
共に写真をアップしています。
これだけでも園まりとその母との絆は強いもので
あったことがうかがわれます。
園まりには姉がいますが、
今は亡きその姉が残した形見のイヤリングを
身に付けた姿もメッセージと共にブログ内で披露しています。
園まりの家族への愛情深さが表れていますね。
最後に
2020年に渡哲也が俳優生活55周年を
迎えたということで、日活の渡哲也DVDシリーズから
園まりが主演した「逢いたくて逢いたくて」と
「夢は夜ひらく」が発売されました。
渡哲也と園まり、まさしく美男美女の共演とあり、
当時は大変話題になった作品たち。
昭和感あふれるこのジャケット写真を見ると、
当時の園まりを知らない世代でも
可愛らしさが分かることでしょう。
現代の芸能界に現れても十分に通用する
タイプの美人です。
これらDVDの発売情報に、
ファンからも喜びのメッセージが
ブログに投稿されていました。
当時を知る世代にとっては
嬉しいビッグニュースだったようです。
1960年代の全盛期には、「スパーク3人娘」の中でも
園まりが一番の「可愛さ担当」で、
男性人気もダントツ1位でした。
当時、バラエティ番組などで数多く共演していたのは
コメディアンの小松政夫です。
彼は、師匠であったクレイジーキャッツの植木等が、
かつて園まりとデュエットした曲
「あんたなんか」を、芸能生活50周年を記念して
園まりと一緒にカバーしました。
発表の席で、小松政夫は、園まりが当時付き合っていた
彼氏をお披露目するため、誕生日パーティを
やろうとこそこそ人を集めた、
と当時の内緒話を暴露。
一緒にいた園まりは、
「覚えてないわ」と艶然と笑っていました。
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