アントニオ猪木【プロレスラー】最初の結婚相手の妻画像馴れ初めや子供は?中学高校大学や現在難病と闘っていた!?

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アントニオ猪木【プロレスラー】最初の結婚相手の妻画像馴れ初めや子供は?中学高校大学や現在難病と闘っていた!?

アントニオ猪木さんは、全身性アミロイドーシス(指定難病28)という

数万人にひとり発症するという病と闘い続けていました。

闘病生活に9ヶ月間密着取材したドキュメンタリー

『燃える闘魂 ラストスタンド』がNHK総合・BSプレミアムで

放送され大きな反響を呼びました。

「本当はこういう映像は見せたくなかったんですけど、

これもひとつの、強いイメージばっかりじゃなくて、

こんなにもろい、弱い、どうとるかは知りませんよ、

見た人たちが。そういうひとりの人間として弱い面が

あってもいいかなと。あえて見てもらって」

アントニオ猪木さんが闘う全身性アミロイドーシス(指定難病28)は、

健康な人間の体内で重要な働きをしているたんぱく質が、

アミロイド線維という異常な構造に凝集し、

さまざまな臓器に沈着する疾病です。

猪木さんのYou Tube『最後の闘魂』チャンネルで

その姿を見てショックを受けた人も多いのではないでしょうか。

この病気は進行を遅らせることしかできないもので

想像を絶する苦しさを伴うといわれています。

無敵のプロレスラーだった猪木さんの今の姿の取材が

なぜ可能になったのか? それには制作サイドに理由があります。

この番組を制作した共同テレビのプロデューサー・鈴木健三さんは

1999年に新日本プロレスに入団、その後アメリカのWWEなどでも活躍し、

今もプロレスラーという二足のわらじを履いている異色の存在。

それまでほとんど接点がなかった猪木さんと鈴木さんの、

小さな縁がつないだ関係により密着取材が許されたのです。

ドキュメンタリー『燃える闘魂 ラストスタンド』

(NHK総合・BSプレミアム)で、猪木さんはすっかり

衰えてしまった自身をあえて見せています。

取材は昨年3月からスタートし9カ月間続きました。

その期間中も猪木さんの容態次第で取材がキャンセルという

事態も発生するなど困難の連続だったと

鈴木プロデューサーは回想しています。

しかし、猪木さんは「いいから全部撮れ!」と言っていたそうです。



アントニオ猪木【プロレスラー】のプロフィールについて

名前  アントニオ猪木  本名  猪木 寛至(いのき かんじ)

生年月日  1943年2月20日(79歳没)

出身地  神奈川県横浜市鶴見区

身長  190cm

血液型  AB型

所属  プロレスラー・実業家・政治家

 

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猪木さんの両親は、石炭問屋を営んでいたのですが、

猪木さんが5歳の時、お父さんは病気で他界。

しかも、追い打ちをかけるように、

エネルギー源が石炭から石油に変わり、実家の石炭問屋は倒産。

猪木さん一家は困窮を極めます。

猪木さんが13歳の時、猪木さん一家(おじいさん、お母さん、兄弟たち)は、

貧困から抜け出せるかもしれないとの希望から、

当時、国が政策として推し進めていた、

ブラジルへの移住を決意するのですが、今度は、渡航中の船上で、

おじいさんが毒性のある未熟なバナナを食べて他界してしまいます。

戦後、日本は、不景気で失業者が溢れていたため、

ブラジルに行けば広大な土地と安住の地があると、

政府がブラジルへの移住を推進していました!

ブラジルに到着した猪木さんは、

サンパウロのコーヒー農園で働くことになったのですが・・・

コーヒー豆の収穫を中心とした仕事は、

朝の5時から夕方の5時までという長時間労働で、

作業が終わり、与えられた小屋に戻って、

着替えるためにTシャツを脱ぐと、Tシャツに染み込んだ汗の塩分で、

Tシャツが固まって立つほどの重労働だったそうです。

猪木さんは、1991年にイラクのシーア派聖地

カルバラーにてイスラム教に改宗されており、

ムスリム名は「モハメッド・フセイン・イノキ」です。

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アントニオ猪木【プロレスラー】最初の結婚相手の妻画像馴れ初めや子供は?

猪木さんの最初の妻(嫁)は、

アメリカ人女性のリンダさんです。

1964年に、アメリカにて武者修行中に出会った

リンダさんと結婚しました。

猪木さんが21歳の頃だったようです。

猪木さんとリンダさんには1人の男の子が

いらっしゃいましたが、幼い頃病気で亡くなり、

程なくして2人は離婚する運びとなりました。

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アントニオ猪木【プロレスラー】中学高校大学は?

アントニオ猪木さんは横浜市立寺尾中学校に入学しましたが、

中学校に入学した時点で、身長が180cmあったそうで

バスケットボール部にスカウトされて、入部したのですが、

先輩に逆らってケンカをしてしまいバスケットボール部を

退部してしまいます!

その後、陸上部に入部して、砲丸投げの選手になって

横浜市の大会で優勝して、大相撲の津風部屋からも

スカウトも受けていました!

猪木さんの最終学歴は、中学中退です!

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最後に

アントニオ猪木といえば、「元気ですか~!」の名言で

お馴染みの元プロレスラーで、現在は、自ら代表を務めていた

”日本を元気にする会”所属の参議院議員です。

「元気が一番、元気があれば何でもできる」などは

誰にでも言えそうなセリフですが、

波乱万丈な人生をかい潜って来たアントニオ猪木だからこそ、

言葉の重みが違いますね!

17歳の時、興行でブラジルを訪れていた力道山にスカウトされ、

日本プロレスに入団。ジャイアント馬場に

対戦を断られた時には、「僕は今夜、馬場のことを殺してしまう

かもしれないよ」と言っていますが、これも、

熱烈な想いをストレートに表現した名言中の名言です。

アントニオ猪木は、紆余曲折あって日本プロレスを追放され、

新日本プロレスを旗揚げ。

さまざまな無謀かつ斬新な挑戦を続け、

プロレス黄金時代を築きました。

「馬鹿になれ、恥をかけ、裸になったら本当の自分が見えてくる。

本当の自分も笑ってた。それくらい馬鹿になれ」とは

実にシンプルですが、究極の人生成功術といえそうです。

アントニオ猪木は、1998年4月4日の東京ドームで

行われた引退記念イベント「ファイナルイノキトーナメント」で、

ドン・フライとの対戦に勝利し、引退しています。

その際のスピーチで、アントニオ猪木は、

「道」というタイトルの詩を披露し、大きな感動を呼びました。

「この道を行けばどうなるものか」から始まり、

「踏み出したところが道となるから、迷わず恐れず行け」と続く

「道」は、アントニオ猪木の信条が練り込まれたような詩です。

この「道」は、アントニオ猪木のオリジナル作品ではなく、

2000年に他界した哲学者の清沢哲夫の著書「無常断章」に

収められていたものなのだそうです。

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