都はるみ(歌手)夫は?矢崎滋を結んだ熟年カップル!

歌手


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都はるみ(歌手)夫は?矢崎滋を結んだ熟年カップル!
演歌歌手・都はるみ(73)が〝第二の人生〟を謳歌している!

12日発売の写真週刊誌「フライデー」が、

都と俳優・矢崎滋(73)が〝通い同棲状態〟だと報じた。

なぜこの2人が…。追跡すると、ともに大ファンだと公言している

「阪神タイガース」がカギを握ることがわかった。

「アンコ椿は春の恋」「好きになった人」など数多くのヒット曲を

持つ都は1984年に一度、「普通のおばさんになりたい」と引退を表明。

90年に復活したが、2015年のコンサートツアー最終日に

「来年、コンサートを休ませてもらいます。一生懸命、充電します」と

休業することを宣言し、翌16年2月のラジオを最後にメディアには出演していない。

一方の矢崎も数多くのテレビドラマや舞台に出演し、

名脇役として名を馳せたほか、

長年にわたって出演した白鶴酒造の日本酒「白鶴まる」のCMが有名。

だが最近はテレビで見かけることはなくなり、

「数年前から芸能界とは離れていると聞いている」

そんな2人は2008年、都のデビュー45周年を記念した舞台

「好きになった人」で共演したのがきっかけで、

関係が深くなったという。

「フライデー」によると、いまは都内に自宅がある都が、

矢崎が暮らしているホテルに通うという形で関係を続けているという。

2月下旬には、買い物袋を持ってホテルに入っていく2人の姿をキャッチ。

翌日は午後に2人で外出し、車で回転すしチェーン店に出かけた。

食事を終えると、またホテルに「帰宅」したという。

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都はるみ(歌手)のプロフィールについて

名前  都はるみ  本名  北村 春美(きたむら はるみ)出生名  李 春美

生年月日  1948年2月22日(73歳)

出身地  京都府京都市

血液型  B型

事務所  サンミュージック

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都さんは、お母さんが芸能好きだったことから、

5歳から日本舞踊とバレエを習い始めると、

6歳の6月6日からは、

お母さんから浪曲と民謡を教え込まれたそうで、

そんな都さんは、歌ばかり歌っていたため、

学校での成績は良くなかったのですが、

高校生の時、突然、歌手になります!

と言って、高校を中退してしまいます。

(ちなみに、当時の校長先生の話によると、当時は、似たようことを言って、

やめる生徒が多く、都さんもそのうちの一人だと思われていたそうです)

都さんは、お父さんが在日韓国人で、

出生名は「李 春美」(1948~1966年)ですが、

1966年に「北村 春美」と改名されています。

芸名は、京都出身であることにちなんで、

当初は「京はるみ」でデビュー予定だったそうですが、

既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更されたそうです。

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都はるみ(歌手)夫は?

都はるみ、「あんこ椿は恋の花」「北の宿から」…

数々のヒット曲を持つ演歌歌手です。

昭和の演歌女王という名に恥じない、華々しい活躍を見せてきた都はるみですが、

その栄光の裏では不倫、内縁の夫・中村一好との死別、

元夫の死去といった苦難を味わっています。

特に、プロデューサーとして歌手・都はるみを支え、

プライベートでは内縁の夫としてともに歩んできた

中村一好が自宅で首をつり、自ら命を絶ったことがかなりの痛手を与えました。

遺書等もなく、直前まで元気にしていただけにショックは大きかったでしょう。

都はるみは、人気が上り調子だった1979年、作曲家で歌手の朝月広臣と結婚。

1982年に離婚してしまいますが、

その後プロデューサーとして活躍していた中村一好と交際をスタートし、

同棲もはじめます。中村一好は結婚していたため、

2人間は不倫関係。中村一好が離婚することができなかったため、

内縁関係のまま、20年以上2人は支えあいます。

しかし、2008年に中村一好が突然の自殺。

翌年には元夫・朝月広臣も病死。

自らを支えてくれたパートーナ―を相次いで亡くした都はるみ。

失意は深かったはずですが、気丈に歌手活動を続けています。

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都はるみ(歌手)年収

都さんのそれまでのレコードの総売上は581億円、

公演(1日のギャラは600万円)は2000回で1000億円を超えており、

都さんの資産は、都内と京都のマンション、

ステージ衣装500着、宝石類、貯金などで総額推定12億円!

 

「何の悔いもない」との言葉は、説得力がありました。

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最後に

都はるみはデビューいらい、ほぼ毎年のように全国をまわる

コンサートツアーを続けてきました。

2015年11月にも有楽町の東京国際フォーラムで、

全国ツアーの最終公演を開催。

しかし、そのコンサートの終盤、

「来年、コンサートを休ませてもらいます。一生懸命、充電します」と

突然のコンサート活動休止宣言をしたのです。

人気絶頂の1984年に芸能界を引退し、1990年に復帰してから25年。

2013年には、急性喉頭炎と急性気管支炎で入院も経験しています。

現在、病気を患っているという報道はありませんが、都はるみも67歳。

「心身ともにひと休みしたいのでは」と関係者はコメントしています。

都はるみは、人気絶頂の1984年に「普通のおばさんになりたい」と、

36歳で引退を宣言。

その年の紅白歌合戦を、ラストステージに選びました。

引退の花道として、紅白の大トリを務めた都はるみ。

会場の拍手は鳴りやまず、アンコールの声も上がりました。

司会の鈴木健二アナウンサーは、この事態に「私に1分間時間をください。

今、交渉してみます。(中略)はるみさん、

あなたが燃え尽きたのはよく分かる。ね。だけどもこういう状態です。

1曲歌う気力がありますか? お願いします、お願いします。」とコメント。

こうして、紅白では異例のアンコールが行われ、

「私に1分間時間をください」は流行語になりました。

1984年、16歳で『困るのことヨ』で歌手デビュー。

その年、『アンコ椿は恋の花』をヒットさせ、

日本レコード大賞の新人賞を受賞しました。

学校長への宣言通り、歌手として大きな成功をおさめることができた都はるみ。

歌手になるべくして生まれてきた才能の持ち主だったといえます。

『アンコ椿は恋の花』に代表される、

都はるみ独特の力強いこぶし回しや振れ幅の広いダイナミックなビブラートは、

一度聴いたら忘れられないもの。

都はるみはこの歌唱法を母のアドバイスを参考に編み出し、

それが彼女のトレードマークとなります。

実際、日本レコード大賞で『アンコ椿は恋の花』を

歌う姿に相澤秀禎は強烈に惹きつけられ、

是非ともマネージメントしたいと思ったといいます。

その後、長年のラブコールの末、

1973年、都はるみは相澤秀禎のサンミュージックに所属することになります。

1976年、「あなた変わりはないですか」の歌いだしが

有名な「北の宿から」が大ヒット。

日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリといった

ビッグタイトルを総なめします。当時、日本レコード大賞で大賞と新人賞、

最優秀歌唱賞の三つの賞をすべて受賞したのは都はるみが初めて。

そのことでもいかにすごい歌手だったかが伺えるでしょう。

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