筒美京平(作曲家)自選作品集大物歌手を育ての親死去?

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筒美京平(作曲家)自選作品集大物歌手を育ての親死去?

作曲家の筒美京平さんが今月7日、

誤嚥(ごえん)性肺炎により死去していたことが分かった。80歳。

筒美さんの個人の音楽出版事務所の代行を行っている日音が発表した。

筒美さんはレコード会社勤務を経て、作曲家に。

1971年の尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、1975年の太田裕美「木綿のハンカチーフ」、

79年のジュディ・オング「魅せられて」、

80年の近藤真彦「スニーカーぶる~す」など数々のヒット曲を手掛けた。

筒美さんは、かねて自宅で病気療養していたという。

故人の遺志により、葬儀はすでに近親者により執り行われた。

「お別れの会」などは、新型コロナウイルスの感染状況などをかんがみ、

現段階で行う予定はないという。

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筒美京平(作曲家)のプロフィールについて

名前  筒美京平  本名  渡辺 栄吉(わたなべ えいきち)

生年月日  1940年5月28日(80歳)

出身地  東京府東京市牛込区

事務所  筒美音楽事務所(個人事務所)

筒美さんは、幼稚園のころ、親にピアノを弾きたいからピアノを買ってとせがみ、

お父様に買ってもらったそうです。

クラシックのピアニストを目指してレッスンに励んだそうです。

大学時代はジャズ・バンドを組んで、ジャズに夢中になりました。

青山学院大学を卒業すると、現在のユニバーサル・ミュージック(旧日本グラモフォン)に入社しました。

筒美さんは、「邦楽には絶対に行きたくない、とにかく洋楽部門にしてほしい」と強く希望し、

希望通り洋楽担当のディレクターになります。

サラリーマンとして働く傍ら、大学の1年先輩であり

作詞家の橋本淳さんに勧められたことがきっかけで作曲を開始します。

たくさんのヒット曲にふれて、どういう曲がヒットするのかということを肌で感じたそうです。

橋本さんとともに、作曲家のすぎやまこういちさんの勉強会に参加するうちに、

1967年からは専業の作曲家として活動を始めます。

1967年、橋本淳の作詞、筒美京平の作曲で、ヴィレッジ・シンガーズに提供した

「バラ色の雲」が大ヒットし、筒美さんは一躍有名作曲家になりました。

筒美京平(作曲家)自選作品集

日本ポップス史に燦然と輝く大ヒット作曲家「筒美京平」。

1967年の初ヒット「バラ色の雲」から50年。

常に日本のポップス・シーンを担ってきた。

その50th Anniversaryを記念するリリース。

多様な筒美京平作品中から、作家本人の意向をふまえて選曲いたしました。

その作品をAOR歌謡(コロムビア盤)、アイドル(ビクター盤)、

ニューミュージック&J-POP(ユニバーサル盤)の音楽ジャンルごとに分けて

CD2枚に収録した3タイトルが同時発売中です。

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筒美京平(作曲家) 松本隆の想い出は?

松本は、日本を代表する作詞家。

1975年に「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)のヒットにより注目を浴び、

1981年には「ルビーの指環」(寺尾聰)が第23回日本レコード大賞を受賞。

他にもアグネス・チャン、近藤真彦、松田聖子、薬師丸ひろ子、KinKi Kidsなどに詞を提供。

2017年には、秋の紫綬褒章を受章。そして今年、作詞家活動50周年を迎える。

東京・南青山に生まれ、西麻布で育った松本。都会で生まれ育った松本は、

中学時代にビートルズを聴いたことがきっかけで、音楽の世界観が変わったという。

そして大学時代、日本語歌詞をロックに乗せた先駆的なバンド・はっぴいえんどが誕生。

メンバーは細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂。松本はドラムを担当した。

はっぴいえんどは活動期間わずか3年ほどで解散。そして、あることがきっかけで作詞家の道へ。

1981年に「白いパラソル」ではじめて、松田聖子の楽曲の作詞を手がけた松本は、

その後も詞を書くことに。特に「赤いスイートピー」は、

当時アイドルNO.1だった松田の転機となり、代表曲にもなった。

その誕生の裏側には、はっぴいえんど時代のある体験が生かされていた。

ある時期から、作詞の依頼を受ける時点で、常に「条件はミリオン」だった。

そのプレッシャーの日々も語る。しかし、本当につらかったことを聞くと意外な答えが?

そして、元はっぴいえんどのメンバーでもあり、

数々のヒット曲を共に生み出した大滝詠一との思い出や、

“天才”だと尊敬する筒美京平との楽曲作りの秘話を語る。

初めは歌謡界を見下していたが、「この詞には曲をつけられないだろう」と

作曲家の筒美京平に「木綿のハンカチーフ」の歌詞を持っていったところ、

あっさりと曲をつけられてしまった。以後、考えを改め、作詞に没頭するようになった。

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最後に

1971、1972、1973、1975、1976、1981、1982、1983、1985、1987年と

10回にわたって日本の作曲家別レコード売り上げで年間1位を記録しています。

70年代は、尾崎紀世彦『また逢う日まで』、堺正章『さらば恋人』、

平山三紀『真夏の出来事』、南沙織『17歳』、野口五郎『青いリンゴ』、

欧陽菲菲『雨のエアポート』、西城秀樹、麻丘めぐみ、

小林麻美や岡崎友紀まで網羅するれパートリーの広さ。

その後は、郷ひろみの『よろしく哀愁』と野口五郎の『甘い生活』が

共にヒットチャートの1位に輝き、岩崎宏美の『二重奏』『ロマンス』『センチメンタル』、

大橋純子の『たそがれマイ・ラブ』などそうそうたる顔ぶれの曲が続きます。

「え、この曲も作ったの?!」とびっくりしてしまうのが、「サザエさんのテーマ曲」。

日本国民なら誰でも知っているこの曲も筒美さんなんですね。

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