スポンサーリンク
布袋寅泰(ロックミュージシャン)高岡早紀フライデー画像?デビュー来年40周年達成!?
来年デビュー40周年を迎えるギタリストの布袋寅泰。
第一線で活躍し続け、映画『キル・ビル』のメインテーマで
海外でも知られるようになった彼が、
世界7ヵ国のアーティストを迎えたコラボレーションアルバム『Soul to Soul』を発売。
コロナ禍でアーティストにできることやロックへのポジティブな思いを始め、
昨今問われるSNSの誹謗中傷問題など、真摯な想いを語った。
|
この状況では仕方がないですよね。本当は僕も各国を旅したり、
逆にロンドンに来てもらったりしたかったけれど。ただその分、
各音源をじっくりとアップデートできたのはよかった。
吉井(和哉)くんも1曲のために5篇くらい歌詞を書いてくれたり。
ギタリストとボーカリストというのは恋人同士のようなところがあるのですが、
遠距離ではあっても恋は実るんだと、そんな新鮮な感覚を味わったレコーディングでしたね。
やっぱりその人の声と存在に惚れてナンボですよね。
この声に自分のギターを重ねてみたい。
この人の隣でギターを弾いてみたい。
その思いをラブレターに綴って、1人ひとりのアーティストに送りました。
長年やっていると周りがお膳立てしてくれることも増えてくるけれど、
待っているだけじゃ開かない扉もありますからね。
僕もロンドンに移住して8年になりますが、海外の方にとっては「布袋って誰だ?」ですから。
それでも(映画『キル・ビル』のメインテーマに起用された)
「BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」は皆さん知っていてくれて、
あのギターを弾いてるヤツか、だったら面白そうだと。
|
40年やってきて残念ながらギターはたいして上手くもなっていないけど(笑)、
変わらずにやってきたことが自分のスタイルになっていて、
それに世界各国のミュージシャンたちが共鳴してくれたことは自信にもなりましたね。
だって布袋が元気ないってうつむいてたら、ファンの皆さんが困るじゃないですか。
やっぱりロックは晴れやかで、聴く人にエネルギーを与えるものじゃないといけない。
(新型コロナウィルスの感染拡大の)こんな世の中でも、
幸い僕にはギターというものがある。それを自分だけのものとしないで、
明日も頑張ろうという気持ちを誰かに届けること。
それが僕らミュージシャンの仕事だと思うんですよね。
布袋寅泰(ロックミュージシャン)のプロフィールについて
名前 布袋寅泰
生年月日 1962年2月1日(58歳)
出身地 群馬県高崎市
身長 187cm
血液型 B型
事務所 DADA MUSIC
14歳の頃、勉強も運動もそこそこで夢中になれるものがなく、
どこか冷めた少年だった。
そんな布袋寅泰さんの心に火をつけたのがロックであり、ギターだった。
「デビッド・ボウイやT・レックスに代表されるグラムロックや、
ピンク・フロイドのようなプログレッシブロックなど、
ジャンルは関係なくあらゆる音楽を一遍に聴けた時代で、すごく恵まれていた。
あの時のインパクト、衝撃がいまだに自分のクリエーティブの根源に流れています」
旧友、氷室京介さんに誘われ、ロックバンドBOOWYを結成。
売れることよりも「日本一かっこいい」を目指すバンドだった。
一気にスターダムにのし上がったイメージがあるが、
世間に自分たちの音楽が受け入れられなかった期間は意外に長く、
打ちのめされ、挫折を味わうことも多かった。
|
「数え切れないほどライブハウスをまわりました。
その経験が自分の演奏スタイルの基本になったし、自信にもなりました」
1982年にメジャーデビュー。日本一という夢を果たしたBOOWYを解散後、
布袋さんはギタリストとしてソロ活動を開始。その時には「次は世界」と思っていた。
「ただ、年齢と経験を重ねる中で、単に日本一、世界一といった言葉による目標だけでなく、
自分の中での広がりみたいなものを求めるようになっていったし、
だからこそ自分自身の力不足をはがゆく感じることも増えていった。
こんなはずじゃない、こんなもんじゃないと思って、
気づいたら30年近く過ぎてしまっていた感じです」
布袋寅泰(ロックミュージシャン)高岡早紀フライデー画像?
2004年6月18日発売の写真週刊誌「フライデー」に、
布袋寅泰さんと高岡早紀さんの衝撃的な記事が掲載されました!
過激な2人の不倫密会がスクープされたのです!
薄暗い照明のバーの片隅でキスをし、お互いの体を愛撫しあう瞬間を
週刊誌のカメラがキャッチしたのです!
|
布袋寅泰さんと高岡早紀さんのフライデー画像がヤバすぎると話題に
2人はイタリアン・レストランからバーへとハシゴして、さらに3軒目のバーに。
そこで、先ほど紹介した、カメラに収められた、2人が仲良く戯れる状況に・・・。
高岡早紀さんは、店内でラテン音楽が流れ始めると、
布袋寅泰さんを誘うようにステージへ進み出て踊り始めます。
布袋寅泰さんも踊り出し、周囲のお客さんの目も気にせず2人だけの時間を楽しみました!
2人は日付が変わった零時すぎに、店を出てタクシーに乗り、
高岡早紀さんは自宅近くで降り、布袋寅泰さんと別れたとされています。
不倫であるにもかかわらず、変装もせず堂々と互いを求め合う布袋寅泰さんと
高岡早紀さんの濃密な不倫デートは、世間にとても大きな衝撃を与えました!
布袋寅泰(ロックミュージシャン)元夫人?
実は今井さんとは再婚で、その前にも結婚していた女性がいました。
それが歌手の山下久美子さん!
布袋さんが売れる前からの付き合いで、当時山下さんは売れっ子歌手。
布袋さんがブレークしたのも山下さんのお陰とも言われていました。
そんな二人でしたが、今井美樹さんの登場で関係が変わっていきます。
二人が出会ったのは、山下さんのアルバム『BLONDE』のサポートギターで
布袋さんが入ることになったのがきっかけです。
当時のプロデューサー吉田健さんが布袋さんを見出し、声を掛けました。
当時すでにBOOWYとして活動していましたが、世の中的には無名の布袋さん。
その時の出会いを山下さんの著書『ある愛の詩』から引用しました↓
|
彼は百八十七センチという長身を,折り曲げるようにして、そのときスタジオに入ってきた。
髪を立て、原宿の古着屋で売っているかのような、黒とピンクのチェックのスーツを着 ていた。
お洒落だなという印象だった。
「よろしくっ」 と私。
「あ、お願いします」
緊張ぎみに彼は言った。
新作のコンセプトは, ロックンロールな感覚だった。
私の原点にもどってまっさらな場所から歌おうとしていた。
それにはとびきりのドライヴ感のあるギターを必要とし、
それを探してきたのが、プロデューサーだった。
「すっげえいいんだよっ、ぜひ聴いてみて」
そして、硝子の向こうで彼が最初の音を出した、その瞬間、私は恋に落ちたのだと思う。
すごいっ、なんて音なのっ!
彼のギターには、瞬時に人の心を鷲づかみするかのような、とてつもない情熱があった。
どこかに怒りを含んでいるかのような、哀しみを知るような、
それまでに遭ったことのない音だった。
私だけではなく、居合わせたスタッフ全員が色めきたった。
やがて、椅子に腰かけ、何やら弾きづらそうにしていた彼が突然、
ガッと立ち上がって弾き始めたときには、スタジオ内 が騒然となってしまった。
まるでライヴの会場のように。スタジオの中で立って弾くとい う技をやってのけたのは、
たぶん後にも先にも彼ぐらいなものだろう。
ついに私は見つけたと思った。欲しかった音を。人を。私のロックン・ロールを。
最後に
布袋と今井の不倫関係は、1992年に布袋が今井のプロデュースをしてから
始まったと言われています。今井は当時、布袋に積極的に作詞作曲を依頼していて、
イメージの違いもあったため事務所からは止められていたそうです。
それを押し切り2曲ほど依頼したとされています。
布袋はその熱い想いからか今井に7曲もの曲を提供しました。
今考えてみると、この時すでに怪しい関係だったのではないかと思いますね。
その曲の1つが今井の代名詞である『PRIDE』。
前妻の山下は布袋の行動に疑いを感じ、当時、親友であっった今井に
『布袋さんが浮気しているかも』と相談されていたそうです。
今井の回答は、『心のなかに広がった思いは止められない』と慰めたそうです。
山下の著書によると、後に自身が両者の不倫を知ることになり、
一部報道で今井は、当時夫婦だった布袋と山下が住んでいた家に
『布袋さんまだ来ないのですが…あ、今来ました(ガチャッ)』と電話を掛けてきたり、
離婚届が入った封筒がポストに投函されていた、
といった内容の陰湿とも言える卑劣な行為をしていたという話もあります。
今井の嫌がらせのせいか、ついに布袋と山下の結婚生活は1997年に終わりを迎え、
布袋と今井は99年に晴れて夫婦となりました。
世間からは “不倫の末の略奪婚” だと大バッシングを受けました。
最近ではネットで『尊敬する理想の夫婦』『なんて素敵なツーショットなんでしょう!』と
賞賛の声が上がるほど、世間からは芸能界きっての“おしどり夫婦”とまで言われるようになりました。
布袋は、去年インスタグラムに『来年は(結婚)20周年!
(今井と)一緒にライヴやっちゃおうかー!』と締めくくった。
コメント